丸の内で働くOLに、なりたかった。
真っ白なブラウスにひらりと揺れるスカート。
東京駅を背に、オフィスへ向かうOL。
そんなキラキラした未来を、私は本気で夢見ていました。
あの頃の私は、
「大学を出たら、普通に就職して、丸の内で働くんだ」って、
何の疑いもなく信じていたんです。
でも、現実は、そんなにやさしくありませんでした。
氷河期世代という時代に、社会は冷たかった
私が就職活動をしたのは、2002年。
まさに“就職氷河期”でした。
求人は少なく、選考は厳しく、希望する企業はことごとく不採用。
わたしの両親は国家公務員で、わたしにも『公務員として働いてほしい。』と強く言われていました。
「丸の内で働くOL」に、なりたかったんです。
しかしながら、大手企業へエントリーシートを送付しても不合格ばかり。
当時の履歴書は手書きが主流でした。
何枚書いたことか。
書いても書いても足りない履歴書。
四季報などを読み、大手企業にエントリーし続ける日々。
就職説明会にも参加し、その場でエントリー。
かすかな希望を託し、日程が重ならないように調整しながら連絡を待つ。
ひたすら就職説明会に参加し、履歴書を書き、送付し、結果を待つ。
周りの友人らも同じような感じでした。
友人と情報交換もしていましたが、同じように内定が出ない様子。
『わたしたち、就職できるのかな。』
という雰囲気になってきます。
不合格という通知が届くたびに、自信も失っていく。
ようやくもらえた内定
ようやく内定をもらえたのは、小さなIT企業。
オフィスは郊外の雑居ビル。
服装はスーツでも、気持ちはくたびれてばかり。
「あの丸の内で働く未来は、いつの間に遠ざかったんだろう」
そんな思いを抱えながら、社会人としての日々が始まりました。
就職できただけいいよね…
わたしの憧れていたOL生活が次第に遠ざかっていく。
あの頃、何度も言われました。
「就職できたなんてすごいじゃん」
「 IT企業で正社員?良かったじゃん」
たしかに、わたしは“就職できた側”でした。
だけど、本当は毎日ギリギリで働いていたし、
心の中ではずっと、
「こんなはずじゃなかった」って思っていました。
給料は安く、帰るのはいつも終電
現場は他社のオフィス。
下請け、孫請けの仕事ばかり。
出向先の社名を名乗り、誰かの指示で黙々と作業。
夜遅くまで働いても、手取りは15万円台。
おしゃれなカフェにも行けず、休日は寝て終わるだけ。
「がんばっていれば、いつか報われる」
そんな気持ちは、いつの間にかどこかへ消えていきました。
「辞めたい」と何度も思ったけれど…
本音を言えば、辞めたかった。
でも、氷河期世代にとって「辞める」は大きなリスク。
次があるか分からない。
年齢を重ねるごとに不安は増すばかり。
だから、疲れていても、
「就職できただけマシ」と、
自分に言い聞かせながら、がまんして笑っていた。
40代になった今、ようやく自分を肯定できるようになってきた
丸の内で働くOL。
儚い夢に終わった。
そして今、私は40代。
もう、あの頃のような働き方はできないけれど、
ようやく「私はよくやってきた」と思えるようになってきました。
理想とは違う人生かもしれない。
だけど、あの時代を必死に生き抜いてきた私は、誰よりもがんばってた。
それを認めてあげることが、今の私にできる「やさしさ」なのかもしれません。
同じ思いをしてきたあなたへ
この記事を読んでくれているあなたも、
きっと何かしら、理想と現実のギャップに悩んできたはず。
夢見た未来とはちがう今。
でも、その間を必死に埋めようとがんばってきたのも、あなた自身。
だから、今の自分を否定しないでくださいね。
歩いてきた道に、無駄なことなんてひとつもなかったはずなんです。
まとめ
「丸の内で働くOL」じゃなくても、わたしはわたし。
あの頃夢見た姿とは、ちがう今の私。
でも、それも悪くないかも…。
そう思えるようになったのは、たくさんの経験をしてきたから。
傷ついた日々も、がんばった日々も、全部がわたしの人生の一部。
トイレで泣いたこともあった。
終電を逃して、オフィスに泊まったこともある。
そんな自分を「よくここまで来たね」って、
優しく抱きしめられるようになりました。
あなたも、きっと同じようにがんばってきたはず。
これからは、もっと自分の気持ちにやさしく生きていけますように。
最後まで読んでくれて、ありがとう♪

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